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Monday, September 25, 2006

China #2 (Sep.96)

96年9月中旬に、1週間の日程で、再び中国へ旅行しました。今回は上海IN/OUTで、烏魯木斉・トルファンへ。例によって往復航空券と現地2泊を手配しました。

第一日 東京~上海

上海にはUA便で夜に着いたにも関わらず、気温が高く湿っぽかった。とりあえず民航班車で静安区へ向かう。料金はあいかわらず4元。虹橋開発区のビル建設ラッシュはすさまじい。香港のような外観を呈する街に変貌しつつある。
民航バスの発着点からIMG0007錦江飯店まで歩く。予想外に遠く15分ほどかかってしまった。ここの北楼をJHCのホテルクーポンで予約してある。前回の和平飯店に味をしめて、上海ではオールドホテル泊まり歩きをやってみようと思い立った。なんと豪勢な....と言われるかもしれない(実際、旅先で出会ったバックパッカーにもよく言われたけど)が、私たちは決してゴージャスさだけを求めているわけではない。事実、最近増えたより格上の近代的なシティホテルには何の魅力も感じない。だが一方で安さだけを求めて旅の時間を使うほど、私たちは時間に贅沢さを許されている身分でもない。また時間があっても、よく耳にするように安さだけを求めてそれを費やすことはしないと思う。とりあえずは無事、チェックインできた。となりにホテルオークラが醜悪なタワーを建ててしまった旧錦江倶楽部こと花園飯店がある。
ちなみに上海でCITI CARDが使用できるのは、この時点では外灘の和平飯店と、YANAN Road.だけだった。この2つのホテルの間の道がYANAN Rd.、つまり茂名路であることを考えると、もしかしたらどちらかにCITI CARDのATM があるのかもしれない。
北楼は旧キャセイマンションで写真どおり洗練された建物だったのだが、印象に残ったのは中楼と名付けられた Grosgover Houseの方だった。修復中らしく、煤けて汚れた姿ではあったが、翼を広げたようなこの形はまさに外灘にある上海マンションそっくり。なにか関連があるのだろうか。IMG0008
ホテルの北に付設のスーパーでビール・ヨーグルト・菓子を買って帰る。

第二日 上海~烏魯木斉

8時、静安公園に散歩に出る。途中、安義路の自由市場に寄ってみたが、入口付近に2、3の小吃店がある以外は、あまり変哲の無い海産物と野菜の市場だった。包子とピーナッツ餅のお菓子を買う。c2-002
静安公園の延安路側の入り口は、遊園地の入り口にもなっていてわかりにくい。入園は一人5角。剣舞やダンスを練習している人 や親子連れが多い。c2-003
ホテルに戻って虹橋機場へのシャトルの時間帯を聞くが、遅すぎて断念。 民航班車にする。11時半頃に空港着。c2-009国際線ロビーの3FにUAはじめ、航空会社のオフィスが並んでいるのを初めて知った。首尾よくリコンファーム完了。
国内線ロビーは、新しくなって国際線よりきれいだった。まだチェックインは始まらないようなので朝食兼用の昼を食べることにする。国際線側の端にある食堂は、昼休みなのか店を閉めてしまったので、シャロンへ行く。

1時半過ぎに国内線に戻るとチェックインが始まっていた。機場管理費50元。セキュリティチェックまではパスポートの提示が必要。
新彊航空機は白地にブルーのカラーリング。主翼下に4基のエンジンがある機体だが、見たことがない型だった。中にはいるとロシア語の表示がある。これがアントノフなのだろうか。座席番号は前席の背もたれに付けられていて、映画館のような雰囲気。救命胴衣はない(陸上しか飛ばないから要らないのだろうけど)。
キャビンアテンダントの制服はブルーストライプのブラウスで洗練されているが、英語が通じる人と通じない人がいる。アナウンスは普通話と英語だが、後半になるに従って、英語は省略されてしまった。
期待のお土産は、まず天池を描いた扇子、新彊ビール、新彊の民族音楽を収めたカセットテープといったところ。c2-010飲み物のサービスはもちろんあるが、オレンジジュースはシロップのように薬っぽく、コーヒーには砂糖が入っている。機内食もこれだけ ?と思っていたら、後からホットミールもちゃんと出てきて十分な量だった。7時半に到着したものの、まだ日も沈まず明るい。c2-011
空港で、帰途便のリコンファームを試みる。コンピュータの具合が悪いのと、英語が通じないせいで、かなり時間を取られるがなんとか完了。雲南航空と同じくやっぱりチケットにハンコを押してくれた。

リコンファームのせいで民航班車に遅れてしまう。次は9時だという。ちょうど到着便を待っていた新彊大学の人(名刺には建築学の客員教授 劉とあった)が、北京からの客を待っているので、乗せていってくれるとのこと。ご厚意に甘えることにする。ちょっと遅れてスーツを着た年配の紳士たちが到着。いかにも大学の教授といった感じだ。彼らと同乗して烏魯木斉市街へ。道は広く整備され、両側には巨大なビルが立ち並んでいる。夜なのでよくは見えないものの、大都市のようだ。アーキテクト(と劉さんは自己紹介した)らしく、みな建物を指差しては批評したり、蘊蓄を傾けたりしている。
客人を送ってから、マイクロバスに残った私たちを、運転手がすぐそばの紅山賓館へ送ってくれた。礼を言って別れる。さすがに22時過ぎとあって、部屋はかなり埋まっているようだ。5人部屋ドミに最後の空きがあるということで滑り込みセーフ。1人32元、デポジットが2人で40元。2人連れの日本人の学生と欧米人が1人。日本人学生たちは天池とトルファンに行ってきた帰りだと言う。トルファン行きのバス乗場を教えてもらう。

第三日 烏魯木斉~トルファン

6時半に起床、8時にチェックアウトして、昨日教わったバス乗り場へ行く。歩いて長途汽車站を探してもよかったが、時間も考えてホテルからタクシーにする。教えてくれた人が言ったとおり、10元で斯林公司へ着く。屋台食堂が併設されていて、羊肉の匂いがする。テーブルはナンをちぎってスープに浸けたり、シシカバブを挟んで食べているウイグルの人たちでいっぱいになっている。同じ烏魯木斉なのにすっかり西域の雰囲気。ここで腹ごしらえをする。羊肉とにんじんを煮込んだスープ、ナンで2人で15元。山のような羊肉を食べきれずに残すと、「バスに乗るの?」「吐魯蕃に行くのか?」「行くなら昼飯に持っていけ」(と、ウイグル語で言っているのだなと推定)とナンにくるんで、袋に入れてくれた。
ミニバスは15元。最後尾の席しか空いておらず、相当の揺れを覚悟する。2人連れの日本人の若い女の子が乗っていた。駆け足でカシュガルまでバス旅行するのだと言う。女性の1人は、南京に留学中らしく流暢な普通話を話していた。隣のおじさんとニコニコするしかない私たちには、やはり言葉がわかるのは羨ましい。
道は悪い。特に川沿いに山を越えるあたりは、先の洪水で橋や道が破壊されていて、道を外れることもしばしばだった。塩田のある盆湖や、ステップの中に立つ新彊風能公司の巨大な発電用風車などを見ながら、1時半にトルファン着。
バスターミナルの背後の交通賓館へチェックイン。ツインが1人100元と言うのを、バス乗り場からくっついてきたガイドの口利きで80元にしてもらう。外賓料金にしても、部屋の内容を考えると高い。ツインなど、プライベートに部屋を確保しようとすると、さすがに高くなる。
若いガイドはアビブと名乗り、流暢な日本語で450元で8ヶ所の一日観光を勧めてきた。ホテルでちょっと世話にはなったが、450元は法外だろうということで、保留にする。19時にまた会うことにして(値段が下がらなければ断る) バザールへ出かける。c2-015
傘状テントを張っての露天商売は、沙坪のバザールを彷彿とさせるものだが、そこかしこにいる ロバ車を除けば、あまり目新しさはない。特産のハミ瓜を見つけて一個買う。量り売りで2元8角。味はメロンそのもので、ちょっとリッチな気分になれる。c2-017IMG0014

3時、トルファン賓館へ。英語ガイドの一日ツアーが40元。やはり周辺ツアーはこれにすることにした。9時から13時、16時から19時の2回分の値段とのこと。ちなみに、ここでもツインは22日まで全部没有と言われる。どうやら パッケージツアーが全部屋を押さえているらしい。また有名なウイグルダンスのショーは9時半からで、一人20元。
団結路と青年路の交差点近くまでもどり、 葡萄棚の下に軒をならべる清真餐庁の一つで夕食を取る。茄子の炒めもの(10元)、豆腐とワカメのスープ(6元)、鶏肉・ピーナッツ・野菜の炒めもの(お薦めだったが、これは20元もした)。味はいいのだが、か、辛い。雲南での失敗がまったく活きていない。
19時、ガイドの彼を待つが来ない。そのまま21時になってしまったので、トルファン賓館のショーに出かける。
ホテル正面の裏側にある葡萄棚の特製ステージは、すでに人でいっぱいになっていた。ツアーらしい中国人と日本人が半々くらい。入場料は20元だった。200人近くはいたかもしれない。予想に反して唄とダンスはなかなか見応えがあった。ウイグル族のお皿の踊りや「ウイグル族の娘」を始め、日本語の「ふるさと」まで確かに観光向けではあるが、洗練されていて技術的にもすばらしい。

10時半近くになり、交通賓館に帰ろうとするとようやくガイド(アビブと名乗った)が謝りながら現れた。明日、英語ツアーに行くことにしたというと、残念そうに苦笑いしたが、では夜に砂漠に星を見に行かないか?と言う。いわゆる「怪しげな砂漠ツアー」の話は聞いていたので「ホントの砂漠じゃないでしょ?」と言うと、「いやホントの砂漠だ。ただし2つコースがあって、ロバ車で行くトルファンの近くの砂漠は小さい。これは50元。もう一つは東へ2、3時間くらい車で行くけど、ホントのタクラマカン砂漠の端っこだ。こっちは砂漠で一泊して350元。」と説明した。
やはり「タクラマカンの端っこ」というのは疑わしいと思ったし、350元という値段も法外だと思ったが、明日はツアー帰着後することもないし「泊まらないから値段を下げてくれれば行ってもいい。」と交渉してみる。結局、一人100元が限界だった。それでも単にくらーい夜の砂漠に行ってぼーっとするために100元も払うのかぁ?という気持ちだったが、この手の「ツアー」がどんなものなのか体験してみたかったのと、大理で見た星空が脳裏に去来して、明日19時までにツアーが終われば行く、ということにする。
昨日、上海から数千キロ飛んで新彊に入ったのに、今日はもうバスでトルファンにいる。こうもすっきりと物事が運ぶとヘンな気持ちになる。もちろん、中国で個人旅行を試みる人ならだれでも知っているように、それだけの「効率的」な移動をするだけの対価は払わされてはいるのだが。

第四日 トルファン

9時、トルファン賓館からバスで出発。メンバーは、緑州賓館(オアシスホテル)に泊まっているアメリカ人2人組(日本の高校で英語教師をやっていたという)と、ニュージーランドのカップル、それとカナダ在住の香港人、河南省に留学しているというSさんという日本人の女性、私たちを加えて8人。ガイドは中国人でスティーブンと自称したが、今一つ聞き取りにくい英語だった。
Sさんは大学生で、県の交換留学プログラムで来ているという。バスは火焔山、ベゼクリク千仏洞、アスターナ古墳群と回って高昌故城へ。 c2-018火焔山は、ずっと見えているので、正面に来ても「ああ、来たな」という感じがするだけだった。 ベゼクリクの破壊の程度は殊の外ひどく、破壊そのものを確認したい人以外には、あまり見るところはない。未公開の洞も、修復していないかもっと破壊がひどい状態にあるらしい。
c2-020ここではみな、内遊旅客料金(6元)で首尾よく入れたのだが、それ以外の場所では、わりとチェックが厳しく、学生証もない私たちは、やっぱり中国語で書かれている外賓券を買わされてしまった。気にしなければそれでいいのだが、気にしはじめると腹が立ってくるもので、同行したニュージーランド人のカップルは、彼らの「学生証」が通用しないところは入場しないという徹底ぶりだった。
ちなみに外賓料金は

 ベゼクリク千仏洞:6元で入ったので不明だが12元くらい?
 アスターナ古墳群:10元
 高昌故城:13元
 葡萄園:5元
 交河故城:13元
 カレーズ:8元
 蘇公塔:20元

という状態で、全て外国人料金だと多大な出費となる。
ウイグル人の集落をいくつか越えて、アスターナ古墳群に到着。c2-021ここは、石室内に車師前国時代のミイラと壁画が残っていることで有名だが、現在は、篤志家の寄付とかでミイラの周りにはガラスケースが設置されていた。 高昌故城は、交河故城に較べて残っているものが少ない。一人5元というロバ車の客引きを後目に観覧コースの奥の大寺院へ歩く。仏塔の側面の小仏は、ほとんど全て顔の部分が無かったが、イスラム化の破壊の跡なのか、過酷な環境で朽ちたのか、もはや見分けがつかなくなっていた。IMG0040
帰途は、オランダ人の老夫婦を乗せてきたロバ車にSさんの交渉で、3人1元という値で乗せてもらう。例に漏れずロバ車の兄ちゃんも、日本語がとてもうまかったので、中国語、日本語、英語(オランダ人夫婦)を交えながら会話が弾んだ....といってもとてもスムーズな会話ではなかったが。
ロバ車のウイグル人の兄ちゃんは、河南省から昨年、作物を売りに新彊に来た女の子と仲良くなり、この冬、遊びに行くための旅費を稼いでいる。だが彼女は仏教徒なので、結婚できず悩んでいるらしい。
一方、オランダ人夫婦(兄ちゃんは、この夫婦と中国人ガイドを一人20元で乗せていた)は、世界一周旅行の一部として、香港、広東、昆明、成都、上海、西安、北京と回る途上だという。
ロバの具合が悪く、30分以上も遅れて到着。欧米人5人組はともかく、スティーブンは怒り心頭といった感じで「今度からは絶対遅れるな!」と不機嫌そう。

予定が遅れたため、先に葡萄園へ行き、昼食にする。ここで8元くらいの炒めうどん(トマト風味)を食べたのだが、このオーダーでアメリカ人たちが手間取ると、またスティーブンが苛ついている。Sさんによると、どうやら毒づいているらしい。「こういうところで立場に関わらず、イライラとか文句とかを言ってしまうところが、中国にはよくありますね」とのこと。確かに、国民性なのだろう。
葡萄園は、単なる干葡萄、土産物を売っているエリアで、入場料を払う価値ははっきり言ってない。ただでさえプロ意識の乏しいガイドに怒っていた5人組は「呆れてモノも言えない」顔つきだ。干葡萄を選ぶ。バザールに較べ安くはないが質は産地だけによい。1克6~7元程度だが、売り方はかなり強気で5角折り合わないだけで、計った袋をひっくり返されてしまった。

交河故城は、非常によく残っていて見応えがある。ユネスコのマークがあるので、世界遺産などに登録されているのかもしれない。。c2-022

道すがらペットボトルを集める子供たち に出会った。小遣い稼ぎになるのだろうが、ペットボトルの再生利用施設が付近にあるとは思えない。環境よりもボトルそのものを使い回すためではないだろうか。
人混みで見学どころではなかったカレーズと、一面の葡萄畑と干葡萄を作る乾燥小屋に囲まれた蘇公塔を見て帰る。19時。IMG0043
Sさんは、まだ宿を取っていなかったとのことで、トルファン賓館の8人ドミにチェックイン。再会を約して別れるが、それから2日、残念ながらお互いに会えないままトルファンを後にすることになった。

今日は約束通り、アビブが待っていた。正直言って疲れていたのとやっぱり高いなーという思いで断りたかったが、決断した以上は行くしかないだろうと出発する。途中で夕食を取り、サンタナになるはずだったダイハツの軽トラは一路、火焔山の東へ走った。
2時間以上走り、日も暮れて真っ暗になった頃、ようやく「砂漠」だという場所に着いた。しかし暗くて何も見えない。月と星の灯はあるものの、地面は真っ暗で砂を踏みしめる感覚以外にはなにもない。
歩いてみると、確かに砂丘のような凹凸があり、表面は砂が流れている。目の前の視界を黒い棒が横切る。近寄ってみると、どうやらガスか石油のパイプラインのようだ。それにしても、こうもなにも分からないとちょっと悲しい。煌々と月に照らされる砂漠のイメージを持っていたが、それは唄と絵の中だけのことなのだろうか。聞けば、この「夜の砂漠」ツアーは日本人しか行かないらしい。

しばらくぼーっと3人で座り、雑談をして過ごす。漢民族への反感は、予想はしていたが根強いものがあるという。
ウイグル族の産児制限は3人だが、漢族の決めたルールに納得している人は少ない、とか、先般の洪水の報道が国内ではほとんどなかったとか、大挙してやってくる漢族がいい仕事を取ってしまい、ウイグルだと大学卒でもあまりいい仕事につけないとか....。
もちろん彼はガイドだから、こういうあたかも絵に描いたような民族対立の話をして、通りすがりにすぎないくせに「新彊を理解したい」おこがましい観光客におもねっているのかもしれない。もっとも、そんなことをしても、あまり彼の得になるとは思えないから、こうした反感は、彼らの偽らざる実感なのだろう。いまだに反漢民族の叛乱が間歇的に起こるような土地柄であれば、この程度の発言は問題にもされないのかもしれない。
車の方に帰りかけたとき、その光に気を取られて1メートルほどの段差から落ちてしまった。胸をしたたか打ったものの、指に擦り傷を負ったほかは軽い打撲で済んだ。

アビブは、今晩砂漠に泊まるという別の日本人のところに行くというので、彼の兄の友人だという麦藁帽のウイグル人ドライバーと、ダイハツで帰ることにする。真っ暗な上に風のせいで砂が巻き上がり視界がとても悪い。心細いな~と思ったそのとき、ダイハツか「ばちっ」という火花とともに停止した。オルタネーターかなにかがやられたらしい。なぜか丸ごと予備のパーツが車内に置いてあり、暗闇の中、懐中電灯の光で奮闘して復帰。だが、また20キロほど走ると今度は右後輪がパンクした。もうもうと砂が飛ぶ中、彼は黙々とテンパータイヤに交換して出発する。
ようやくこれで....と思っていたら、さらに進んだところで右前後輪の空気が漏れてしまった。近くのウイグルの村で、自動車修理工を探して空気を入れてもらう。村の中は防砂林に守られて砂も入らない。気候がいいのでみな 日干し煉瓦でできた家の前にパイプベッドを持ち出して涼んでいる。真っ暗で静かだった。

やっとの思いでトルファンの市街まで帰ってきたが、すでに夜中の1時半。交通賓館は門を閉めてしまっているので、やむなく彼の家に泊めてもらうことにする。中庭は葡萄棚になっていて、方形のモルタル塗りのきれいな母屋が5棟ほど続いている。反対側には「木を跨ぐ式」のトイレと犬が繋がれている。
部屋の中は奥の半分が、1メートルほどの高さの台になっていて、そこに絨毯や布団を敷いて寝るらしい。前半分は土間のようになっている。葡萄とお茶をもらって寝る。まぁ交通賓館にはたいした荷物もないし、いい経験ができた。

第五日 トルファン

7時半頃、今日はガイドバスの運転の仕事があるという彼に、車に乗せてもらって交通賓館まで送ってもらう。まだ門が開いていないのでバザールの清新餐庁で野菜炒めと包子を食べる。
交通賓館の服務員は、ちょっと驚いたようだったが、こっちはそれどころではない。部屋に帰ってシャワーを浴びると、体中から砂が出てきた。やっぱり砂漠だったのだろうか。c2-028
一眠りしてトルファン賓館へ移動することにする。手持ちの資金が乏しくなってきたことと、あわよくば「砂漠ツアーの感想を聞かせてくれ」と言っていたSさんに会えるかもしれないと思ったためだった。古い建物にある 3人部屋のドミは一人27元。押金が20元。バス・トイレが共通になると格安である。服務員のおばさんは、鍵を・開けるついでに、自分が食べようとしていた葡萄をくれた。
部屋で眠った後、向かいにあるJohn's Cafe で遅めの昼食。カシュガルピザやトマトスープ、パンを食べる。16元くらい。ここは雰囲気がよくてのんびりできる。町中の売店で牛乳瓶に入って売られている飲み物はレモン味のついたヨーグルトだった。一本1元、おいしい。c2-029

夜は、バザールの西、吐魯蕃商場前の広場 に出る屋台に行ってみた。夕方からシシカバブや羊肉料理、麺類を売る青空屋台が開き始め、ひときわ賑わう。夜もかなり遅くまでやっている。シシカバブは一串2元、ラーメン風の豆と肉が入った麺に水餃子を一皿で6元。ハミ瓜や西瓜も売っている。シシカバブは、香辛料のせいもあるのか、羊肉の臭みがなくてうまい。
結局、Sさんとは再会できなかった。トイレは一応は個室だし、シャワーも湯が出ないということもないし、快適。
砂だらけの服を洗濯して寝る。もう一人の宿泊客が来ないので結局、ツインと同じ状態に。

第六日 トルファン

昨日までの疲れか、旅の半ばに来て昼まで寝る。フロントでSさんを探してもらったら、ドミのチェックインリストを渡されてしまった。しかし探したが見当たらない。もうチェックアウトしたのではないか、とのことだった。
中心街だけを歩いていたので、解放路とその南の道を蘇公塔方面に歩いてみる。
車やロバ車が立てる土煙がすごいが、そこはすっかりウイグル人の村になっている。 c2-036
家から道を隔てて並木があり、その外側には 畑、立木の間には道に沿うように水路 が縦横に走っている。老人たちはこちらが声をかけると挨拶を返してくれ、子供たちは「ハロー」と言って写真を撮る真似をする。写真を撮って、という意味なのだろうか。声を交わすだけだけれど、その瞬間に、厳しい表情が緩むのが印象的で、道を歩きながら数えきれないほど挨拶してしまった。c2-032
挨拶しても「なんだなんだ」と、じーっと見つめる漢民族の反応も、それはそれで面白くて嫌いではないけれど「なんとなく笑顔」というのは、日本人の反応に近くてなんとなく和む。
迷路のような葡萄畑の間に、昨日見た 蘇公塔がやっと見えた。
帰途、海抜0メートル地点なる場所に寄ってみたが、なにもなかった。c2-031
店じまいしかけのバザールで、お土産用に干葡萄を買う。500グラムで7元5角。昨夜の商場屋台で今夜も夕食。晴れていたので、解放路の方へ入ってみると、立木で視野が狭いものの、星空がきれいにみえた。どうせなら昼に砂漠へ行くツアーにすればよかったと思う。

第七日 トルファン~ウルムチ

今日はいよいよウルムチへ帰ることにする。7時半にチェックアウト。タクシーが汽車站まで20元と言ってきた。ガイドに聞いていた5元と言ってみたらOKとのこと。距離を考えるとこれも高いが、急いでいたので乗ることにする。
ウルムチまではなぜか18元。学生は16元。アビブとオスマンの2人がバイクで現れ、見送ってくれた。
帰途は大きなバスで揺れは少なかったが、途中の達坂城の近くで、公安か軍隊らしき検問があり、サブマシンガンを構えた兵隊が荷物を小突いて回っていた。

2時にウルムチ着。バスターミナルからタクシーを拾い、紅山賓館へ行く。今回の部屋は3人のドミ。荷物を置いて、 紅山を遠目に見ながら、7路バスで新彊ウイグル自治区博物館へ。外賓25元、内遊旅客も12元とえらく高いと思ったら、ここはかの「楼蘭の美女」を始め、高昌国時代のものなど十数体のミイラが保存されている場所だった。日本人観光客も多く訪れていた。
紅山賓館の一階には、時間の別なく天池観光を勧誘するカザフ族のガイドがいる。トルファンでのんびりしたため、泊まりにはいけないが、日帰りで天池を見に行くことにした。バス送迎のみなら15元+入場料30元。同室になったのはエイドリアンという大学生の女の子で、北京で中国語を学んでいるらしい。明日、カシュガルへ発つという。天池へ行くと話すと、メッセージボードに感想を残しておいてくれとのこと。
廊下で、トルファンの一日ツアーで一緒だった欧米人グループに再会して驚く。彼らもみな、カシュガルを目指すらしい。
ここのシャワーは本館ととても離れていて驚いた。しかも客以外の人とも共同になっているようだ。

第八日 ウルムチ(天池)

朝8時、中庭に止まったバスに乗る。アイルランド人とアメリカ人の学生、日本人のバックパッカー3人と同行。彼らはみな一泊するらしい。一泊すると40元とのこと。入場料を払わされたが、券面の表示が20元なので、10元よけいに払わされたようだ。だが、運賃として払った15元は、ガイドがそのままバス(乗合バスだった)の車掌に渡していたので、泊まらない私たちからは、彼らのマージンが取れないのかもしれない。
入口でバスを乗り換え、日光のいろは坂を思わせる急坂を上ると湖畔に出る。上の駐車場からは徒歩。20分ほど湖に沿って歩くと、 観光用のパオが湖畔に立っていた。
さすがにみなが勧めるだけあり、渓谷の美しいところである。手前に緑色の水を湛える天池があり、急峻な山の彼方に雪をかぶった峰が見える。
アイルランド人の学生は池で泳いでみたが、さすがに冷たかったようだ。
パオに入ってみると、先客がいた。日本人の学生で、初の海外旅行で中国を旅しているという。ここが気に入ってもう3泊してしまったそうだ。今日の夕方、ウルムチへ帰る予定らしい。
まわりになにもないところなので、おばちゃんが作ってくれる昼食を食べることにする。一人10元。スープとナンに似た固いパン、羊の乳でいれるミルクティー。
あとは人それぞれ、話をしたり、散歩したり、ひなたぼっこをしたり。久しぶりにのんびりする。

4時ごろ、帰途につく彼といっしょに下山。バスが遅れてやや暗くなってから帰着。彼は5人部屋を取り、一緒に晩飯を食べに、中心街へ出る。映画館の広場に近い牛肉麺屋で加工牛肉面4元というのを食べる。食券制の店だった。入り口に出ていたカバブは、5本単位10元で売っていた。
彼と意気投合し、彼の知っている市民公園の北にある餃子屋に行ってみる。さすがに11時近くなり、店はもう明日の仕込みにかかっていたが、残りを食べさせてもらえることになった。アイヌの研究をしているという彼は、これからトルファンへ行くという。お互い名前もきかなかったが、楽しい道連れだった。

ホテルへ帰り、フロントの服務員に明日、朝6時半にチェックアウトしたいというと快諾してくれ、タクシーも呼んであげると言われる。空港までは50元だとのこと。ウルムチに着いた日に送ってくれた新彊大学の劉さんも、タクシーならそれくらいすると言っていたので、頼むことにする。
エイドリアンが去った後の部屋には、新しい旅行者は来なかった。

第九日 ウルムチ~上海

6時過ぎにフロントの服務員から電話があった。
降りていくと、服務員室から出てきた友人の女性を運転手だと紹介した。うーん、白タクだったのか...と思ったが、昨日のとおり空港まで50元だと確認してくれた上、その「友人」の車が最新のドイツ車(オペルだったような気がする)のセダンで、乗り心地もスピードもタクシーと比較にならなかったので満足する。空港にはかなり早く着いてしまったが、機内食が出るだろうという読みで食堂には行かなかった。
7時45分、新彊を離れる。上海には昼の1時着。

翌日(最終日)は、これまた贅沢に上海青年会賓館にしてあったので、今日の宿は外灘周辺、ウルムチで出会った彼が薦めていた 浦江飯店に行ってみることにする。ドミはだめだが、運良く5人部屋が空いているとのことでチェックイン。一人70元(10パーセントの服務費別)だが、部屋はオールドホテルの一つだけに、なかなか 広くて綺麗。しかも立派なバス・トイレが付いている。ただ部屋に入る前に、さらに鍵のデポとして100元預けさせられたのは驚いた。当たり前のことだがやはり都会に帰ってきたなぁ、と実感した。結局、手持ちが足りず、両替してしまった。
同居人とは男女別室になってしまった。私の同室者はフランス人のベンジャミン。大学生で、北京・西安・竜門を列車で回ってきたという。社会学の専攻で、フランス南部の都市の民族集団、特にアラブ系のコミュニティとその芸能について調べているという。
同居人の方の部屋は、彼のパートナーの女の子に加え、イギリス人とドイツ人、そして日本人の5人満室状態だったそうだ。
夕方だったので、魯迅公園へ行ってみる。ちょうど催し物をやっていて、きらびやかな電飾をつけた、陶器や蚕の繭で作った龍や孔雀のモニュメントが溢れていた。
戻ってから外灘へ。浦東新区には、ますますビルが増えている。

部屋に戻ってベンジャミンと話す。彼らは豫園界隈で、人民服風のジャケットや装飾品を漁ってきたらしい。お爺さんがよく着ているような渋い茶色の綾織の上っ張りなんかを見せてくれた。

第十日 上海

朝、チェックアウトして、西蔵路の上海青年会賓館に向かう。人混みもあって、思った以上にかかってしまった。服務員は親切だが部屋は広くない。
豫園へ。前回逃した南翔小龍包を食べる。16個8元。確かにうまい。モスバーガーは9元だが、こちらは日本のものと同じ。今回は資金がやや潤沢なこともあり、150元のお茶セット(急須と茶盆、猪口のように小さな湯飲みがセットになっているもの)を買う。
子供用の文具や玩具などの店が多い安平街は、再開発するようで、取り壊され広場に店が集まっていた。小さな日めくりカレンダーや、風船、栞などの小物をお土産用に買う。あとは量り売りの豆菓子でも買ってかえればいいだろう、ということで終了。
帰りがけに、広西路と金陵路の角の豪都大酒楼に「INTERNET CAFE」の看板を見つけるが、どうやら25日オープンらしく、入れなかった。

夕方、大世界へ。隣の長安餃子楼で2人90元のセットを食べる。フルに食べると200元というセットもあるらしい。ここで出た薬煎茶は、木の実や香辛料がたくさん入っていて、疲れていたからだにはありがたかった。
閉店間際の友諠商店でお土産の買い足しをする。新聞の記事で、南京路にかのHard Rock Cafeがオープンしたと書いてあったが、どうやらかなり西の方らしいので今回は諦めてホテルに戻る。今までの日程と対照的に、忙しい日だった。

第十一日 上海~成田

朝の人民公園から、505路で虹橋空港へ向かう。2元5角。9時前に空港に到着。今回は妙にうまくいったな、と思っていたら、ここにきてUAがトラブルらしい。昨夜、台風のため成田便が飛ばず、増便もなく今日の便に繰り越すという。案の定、私たちを含め大部分の本日の客は締め出しをくい、慌てて他の便を当たらなくてはならなくなった。連休最後という条件も重なって、CAもJALもあっという間に埋まってしまった。
結局、昼のJAL便のキャンセル待ちでやっと席が取れ、無事、帰途についた。
大きなトラブルはなかったものの、最後にきて「やっぱり中国は油断できないな~」と思い知らされた旅行だった。

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