Misc Travelogues.

Monday, September 25, 2006

China (Dec.95)

95年12月上旬、2人で香港->雲南(昆明/大理)->上海(蘇州)を旅行しました。

第一日 成田~香港

偶然にも、香港が目的地の仲間たち数名と一緒になった。宿泊は別だったが、夕食やヴィクトリアピークの観光などに行く。

第二日 香港

中国へ入る前ということで、さしたることもせず(今から思うともったいない)、要領の悪い私たちは、あえて書けるようなこともできずに終わってしまった。

第三日 香港~昆明

香港発のドラゴン航空便は定刻に昆明に着いた。「茶色い」というのが第一印象。
雲南航空のオフィス探しで半時間ほど費やす。道を渡った向かい、空港ビルを出てやや左前方に見つけた。チケットにリコンファームスタンプを押してもらう。
近くのトイレは1元も取られた。空港を出て左手には、民航バスが止まっている。市内へ2元。3時頃に民航オフィス着。
茶花賓館ロビー奥にある旅行社で、今晩の大理行きの寝台バスチケット入手。一人80元。翠湖公園を目指して街歩き。日曜のせいか工人文化宮前の広場は人出が多い。遅くなったので公園にはいるのは諦めて戻る。
7時頃、茶花の向かいの実験飯店で、チャーハン、スープ、豆腐のトマトソース炒めという質素な夕食を取る。5元5角。
8時に茶花賓館を出て、大理、麗江行きの二段寝台バスまで送迎してもらう。中は左右2列の寝台が、上下2段に作りつけられている。ほとんどベッドに近く、たいへんくつろげるのだがなんとなく寝付けない。

第四日 昆明~大理

まだ暗いうちに「シアクワン、シアクワン(下関)」という声で目覚める。
まだ下関か、と再び寝込む。
次に目覚めるとバスは左手に山脈、右手には湖を見ながら黎明を走っている。そろそろ大理だろうか?と思いつつ20分くらいが過ぎ、ようやく乗越しに気づく。同居人を起こして運転席の助手(とおぼしき兄ちゃん)に「大理古城?」と書いてみせると驚いた顔をしてバスの後方を指さした。
どこまで行ってしまったのか?内心焦りつつ、大理の北の街を思い出しては書いてみる。「周城?」後ろ後ろのサイン。「喜州?」後ろ後ろのサイン。「沙坪?」と書くと、ようやく安心したように「沙坪、おーおー」と頷いて前方を指さしてくれた。「我要降車於沙坪 請叫我一声」と怪しげな中国語で書くと、わかったらしい。沙坪で降りる。
ここは、今日、月曜バザールが行われるはずの土地で、大理にチェックインしてから来ようと思っていたところ。もちろん人影は未だ無い。8時くらいのはずだが、辺りはまだ薄暗く、ものすごく寒い。
困っていると、道の反対側からミニバスの運ちゃんがクラクションを鳴らしてくれた。聞いてみると大理にも行くという。これが4路バスらしい。一人4元。バスの中は、鮮やかな民族衣装を着た白族の女性と、煙草をくゆらすおじさんで満員だった。

8時半くらいに大理の北のはずれに着く。そこから歩いて中心部の護国路と復興路の交差点を目指す。水たまりは凍っているように見える。
9時直前、紅山茶賓館(No.2 Guest House)に着く。隣の太白楼旅行社のお兄さんに、沙坪のバザールへ行くツアーを聞くと、9時に出発して2時に帰着するとのこと。宿探しもしないまま、荷物(といってもデイパックだけだが)を持ってミニバスに乗り込む。
欧米人に混じっていた、日本人の学生「古枝」君と知り合う。大学の研修旅行で、成都に行く途中だが、せっかくだからとバンコクを回ってきたという。昆明で親切そうな人に街を案内されて、いきなり200元も取られたそうだ。
それでも陽気な人で「飯がうまいところっていいですよね」など楽しそうにしている。中国向きの人だなぁ、と(皮肉ではなく)感心する。

11時頃、今度は沙坪は人の山になっていた。cn0007
3人で屋台のようなテントで、よくわからないがとても辛い炒め物 (魚、肉、米線(麺類)の3皿)と山のようなご飯を食べていると、白族のおばちゃんがやってきて、同居人に刺繍製品を売り込み始める。
バッグ(23元)を買うと、その後、なにかと面倒を見てくれたり果物をくれたりする。私も白族の女性がつけている髪飾りを買う(こちらは40元までしか下がらなかったが)。

大理に帰って古枝君と別れる。彼は紅山に泊まっているそうなので、せっかくだから別のところということで、護国路の北端近くにある楡安園(No.4 Guest House)のツインにチェックイン。トイレ・シャワーは共同だが、中庭やレストラン、画廊があり、ちょっとリゾートコテージ風(あくまで「風」だが)。
若い中国人の女の子たち4人が掃除やら雑事をやっているようで、なかの一人、レセプションにいる女の子はとても流暢に英語を話す。一泊40元に加えて鍵のデポジットとして10元を払い、チェックインする。(ドミは10元とのこと)部屋は6畳程度でベッドは柔らかく、裸電球とスタンド、ごみ箱、サンダル2足に洗面器2つ、電子蚊取り器がある。
自動給水ではない洗濯機と洗剤もある。トイレ(は、いわゆる穴だけトイレ)・シャワーが別棟でこの季節は寒いのと、ちょうど男子トイレが修繕中で困ったことを除けば、快適な宿だった。宿の門は、午前2時までは開けているとのこと。
夕方、白太楼で帰途のバスを予約、南門へ向かってメインストリートらしい復興路をぶらぶらする。南門の楼上のカフェの三道茶は10元、乳扇というチーズを揚げたお菓子はついていない(以前はあったらしい)が、厚揚のようなお菓子をサービスしてくれた。この2階のカフェのなかから楼門の3階にも上がれる。日本の学生が書いてくれたという日本語の説明書きがあった。南門にはいるのに1元いるが、6時くらいで售票処のおねえさんは帰ってしまうようで、入れ替わりに、ラジカセを持った近所の人たちがダンスをするため(?)に集まってきていた。

7時頃に、杏花村酒家に名物の砂鍋を食べに行く。これは辛くなくて安心する。砂鍋、麻婆肉炒(辛い)、白飯一斤、あんこ入りの乳扇と大理ビールで36元。食べきれない量になってしまった。

第五日 大理

朝、路傍の包子を朝食にして、喜洲とアルハイへ行ってみようと思い立つ。
だが白太楼で尋ねるとツアーではないアルハイの観光船はとても高いとのこと。観光用ではないボートは喜洲からはないらしいので、湖畔を見るだけにする。cn00024路バスで喜洲へ。20分くらい歩いて街の中へ。
ここには「白族民族村」のような施設があって、大きな民族様式の家屋や踊りを見ることができる(2元)。ここでも三道茶が飲めるようだ。白族の家屋は外見よりも中が広く、高い壁の間にたくさんの空間がある。家屋の片側に設けられた風除けの壁は巨大なので、相当強い季節風が吹くのだろう。cn0008
東のはずれの市場を抜けてアルハイの方向に歩いていく。そこに湖が見えているのにやたらと遠い。40分くらい歩き、2つほど村を抜けてやっと畔の寺院に着く。
魚を取っている人たちが、舟で出入りしているが、ここは音がなく静かな空間だった。
昼になったので、ロバ車のお世話になり(1元)、市場の脇のバス乗り場へ戻り、大理へ帰る。


大理の「ハッピーレストラン」で噂の豚カツとオムレツを食べた。味は悪くない。この辺りでは、今まで全然会っていなかった日本人によく出会った。同席した若い男性は、もう3年ほど日本には戻っていないという。
夕食に出て、南門近くの土産もの屋の親子を撮る。写真を送ってくれと言う。博愛路や復興路をうろうろして、結局ララカフェで夕食。
マカオから来た、という若い夫婦と相席する。麗江を薦める彼らに「この後は上海へ寄るつもりだ」と告げると「おお、なんでまた上海なんかに(上海ファンの方には悪いのだが)」との反応。
田舎好きの私たちも大理にきて、その気持ちはよくわかったが、「いろいろな中国を体験してみたいのだ」と言うと「あちらは寒いかもしれないから気をつけて」と言ってくれた。食事は2人分で22元くらい。

第六日 大理~昆明

トイレに下りていくついでに、饅頭(の皮みたいなお菓子)と油条を買って帰る。風がとても強い。一日ツアーに参加してもいいなとも思ったが、夕刻のバスに間にあわないと面倒なので、三塔寺と下関のアルハイ公園に行くことにする。チェックアウトしてバイクを借りて三塔寺へ。cn0001
三塔寺はさすがに観光地らしい場所で、にぎわいがあった。大理石グッズを売る店が、塔の回りを埋めている。
大理に帰って郵電局へ行き、葉書を出す。航空便で一通2元3角。そこそこ高い。道で古枝君にばったり再会し、バザールで借りっぱなしだった20元を返す。3人で桑尼園(Guest House)の向かいにある「Salvador DALI」で昼食。調理場で材料を指さして注文する。もちろん3人とも「辛いのダメ」のジェスチュアを忘れずにつけ加える。

昼からは3人で下関へ行く。バスは1元2角、幹線だから安いのだろうか。アルハイ公園へ歩く。強風の上、けっこう遠い。3人とも「ロバ車を使えばよかった...」と客引きを自分たちで断っておきながら後悔する(帰りは乗った)。公園でボーっとするのが唯一の目的だったのだが、風がとてもきつく、湖畔では冷たくて立っていられないので、小山の上の、湖を見おろす東屋で横になってうつらうつらする。
古枝君は、旅先の風景をスケッチするのが趣味で、数枚描いているという。「中国は人が多すぎてなかなかのんびり描けなかったんですよ」と嬉しそうだった。

大理に帰って彼とは別れた。成都を経て香港、インドネシアへ向かうつもりだそうだ。バザールで「寒いから」と上着を買っていたが、どうするのだろう。
護国路で、毎日私に声をかけていた靴磨き屋さんに最後に靴磨きを頼む。しかし勝手に靴底の修理をしてしまい、案の定15元(靴磨きは1元5角)などと要求してきた。靴底が破れていたのは事実だったが、言われるままに払うのもばかばかしいので、全部込みで5元にしてもらった。
概して中国は定価の不明な(?)ベトナムに比べると、値段交渉が楽だった。
バスは7時頃、大理を出発した。夜半、休憩の後でいきなり公安の検査があり、切符をチェックされる。外国人はそれだけだったが、中国人客は工作証やら荷物の中身やら、細かく調べられていた。

第七日 昆明

6時頃、昆明汽車站に到着。歩いて昆湖飯店へ行く。ツイン152元の部屋に泊まることにする。
ここは入り口の黒板や外国人向けタリフのすぐ隣のページに、国内旅遊(中国人向け)の安い料金が出ていて、ちょっと悲しくなる。朝とはいえ真っ暗だし、初めてのまっとうな?中国式ホテルで緊張するし、夜行バスで疲れているしで、寝てしまう。
風邪気味で熱っぽくなり、薬局が開く時間になって相棒に熱冷ましを買ってきてもらう。
余力が残っていれば、と考えていた石林観光は諦め、昼過ぎから雲南省博物館へ出かける。
途中、宿からすぐの北京路の屋台でチャーハン(3元)とスープ(2元)を食べ、バスと徒歩で博物館へ。4階まであり、雲南省の少数民族を主なテーマにした民俗・歴史関係の展示が充実している。予想していたよりは濃い内容だった。日本人らしき人もちらほら。併設のショップの店員さんは日本語と英語の勉強をしていた。
東寺街の小吃屋台を流しながら徒歩で帰る。
フロントのミスで、ちょうど泊まった階の服務員が、私たちの部屋に別の客を入れようとしていたので抗議する。受付が、部屋番号の証明となる領収書に同じ部屋番号を書いてしまったようだ。出入証(鍵の代わりに渡されるカード)に部屋番号を書いておけば、このようなミスは無くなると思うのだが、そうしないところが中国なのだろう。
夕食は、ガイドブックに紹介されていたホテルの近くのシンガポール料理屋へ。若い人が多く、しきりに英語で話しかけられた。

第八日 昆明~上海~蘇州

5時半に起床。6時直前にフロントへ行く。6時前はドアは開いていないとあったが、行ってみるとドアの横に守衛のような人が寝ており、出入証と引き替えにデポジット(40元)を返却して鍵を開けてくれた。
タクシーはメーターは倒さず、空港まで30元だと言う。倍近いが、とにかく焦っていたので、乗ってしまうことにする。ノロノロ運転だったが、とりあえず空港には6時過ぎに着いた。
チェックインして搭乗券を受取り、なぜかそこだけ異様に混んでいる空港使用料(50元)の支払いを済ませ、2階で待合室に入る。セキュリティでは、チケット、搭乗券、使用料領収書、パスポートすべての提示を求められたが、X線はいい加減で、巨大な手荷物を持った人たちがどんどん通っていた。待合室に入ると「歓迎」と書かれた、紅いたすきを掛けた案内役らしき女の子がいたが、ほとんど無視されるか邪魔にされていた。朝早いためかしきりにあくびをしているところが、国際空港とはいえのどかで可愛らしい。アナウンスには日本語もあった。
搭乗のときはさぞや大混乱だろうな、と予想していたが、みな整然と乗り込んで、おとなしく席に着いた。搭乗した上海行き雲南航空の機材は737。機内食は包子と干し肉にデザート。なぜかパンダのトランプと梅飴がお土産として配られる。着陸前になってキャビンクルーが大きなゴミ袋を広げてゴミ回収に回ったのには驚かされたが。

11時前に上海着。空港の写真を撮るな、という注意をここで初めて聞いた。
民航バスで静安地区へ出る(4元)。そこから歩いて南の常熟路の地下鐵駅 へ。地下鐵(2元)で上海火車站へ。
駅前の龍門賓館で、一番早い蘇州行き切符を購入。2名で30元。なんと発車まで20分しかない。駆け足で改札を抜けてホームへ出る。
鉄道は、体験談やガイドブックで紹介された通りの雰囲気だったが、乗車した軟座は非常に座席間隔が広くて大きいのが印象的だった。ほんの1時間の上海滞在。慌ただしいといえばそうだが、思ったよりスムーズに進んだのが軽い驚きでもあった。
しばらく経って「次は服務員がお湯を配り始めるぞ」と思いきや、プラスティックのコップに注いだコーヒーを配り始めた。タダかな?と甘い考えでいたら、すぐに5元も徴収されてしまった。
コーヒーの後、これは予想通りにモップ掃除を始めた。2時過ぎに蘇州に着。
駅を出て左手に大きな2階建ての售票処があり、そこの2Fで明日の帰りの切符を買う。窓口の表示はいろいろだが、当天券、明天券を扱う窓口が決まっているらしい。客引きに寄ってきたタクシーの運ちゃんが「明天はこっちだよ」と、「団体切符」の表示のある窓口を教えてくれた。
切符を無事に買い、姑蘇飯店を目指して、1路バスで南下。十全街を東西に走るバスは工事かなにかの理由で運休中のようだ。南林飯店、蘇州飯店などを見ながら姑蘇飯店にチェックイン。ツインが250元。デポジット40元。今度は鍵をもらえる普通のタイプのホテル。

夕暮れが近かったので、網師園と滄浪亭を見学するだけにする。外文書店にはかなり古い日本の女優の写真集なども売っていた。cn0003
暗くなって、南門近くの西二路の食堂街まで足を延ばし、炒めモノとご飯を食べる。これも二人で10元しない安さ。包子も買って帰って食べた。

第九日 蘇州~上海

あいにくなことに雨が降っている。時間もあまりないので、庭園めぐりは次回とし、宝帯橋と盤門を観光することにする。
途中のデパートで傘を買い、南門汽車站まで歩く。13路バスを待つが全然こない。風と雨がきつくなるので、あきらめてタクシーを拾うことにする。ここも昆明と同じ赤いシャレード(だと思う)のような車体。日本語がやや話せる運ちゃんだった。
宝帯橋は、嵐のような風雨の中で歩いたので、寒いし景色はないしで散々だった。無念の涙を飲みつつ盤門へ行ってもらう。
「ここは、いいとこですよ」という彼の言葉通り、塔と橋とを従えた盤門は、とても風情のある場所だった。cn0004
タクシーには、いったんホテルを経由して観前街まで送ってもらい51元。観前街で、得月楼へ昼食に。
若い女の子の店員がお勧めの鶏の丸焼きは、とても柔らかくて飽きない味付けで二重丸。卵のスープと青菜の炒めものは、ごく一般的な中華料理で「濃さ」がなくてよく口にあう。だが、名物料理のメバルの姿揚げあんかけは、175元という法外な値段にも関わらず、餡にケチャップを使っていたようでちょっと幻滅した。その他の料理は、概ね妥当な値段で量も十分ありお薦めできる。名物にありがちな観光地料金だろうか。全部で250元近くかかった大半は、この餡かけの値段だった。

前日買った切符を持って蘇州站へ。今回はのんびりと脇にある軟席待合室から入る。暖房が効いていてソファがあり、一角ではお土産物も買える。
時間が近づくと、駅員がホームへ誘導してくれるのは、ベトナムの鉄道などと同じ。切符を見せるとホームを教えてくれる。どっちが前だから後ろだからと、ホームで行ったり来たりしていると、突然笛がなり、硬席改札が開いた。とたんにホームは人の山になる。
帰途の座席で前に座った老人は、引退した電子関係の企業の技師長とのことで、流暢な英語を話し、成りゆきで名刺交換もしてしまった。湖北省の住所と自宅の電話、「第四四〇四 電子工廠 副技師長」などと入った名刺をもらう。レーダーを作っていたという。
老人の通訳でときどき周囲の人も加わりながら、雲南や上海の話、日本の家族、結婚観といった当たり障りのない話をして過ごす。
列車はずいぶん遅れて4時前にようやく着いた。急いでタクシーでホテルへ向かうことにする。上海での残り2泊は、奮発して和平飯店を予約してあった。無事にチェックイン。まだ夕方だが雨が降り続いているので、今日はホテル内の探検にとどめ、行動しないことにする。cn0005

相棒が疲れて寝てしまったので、夜、人民公園近くまで歩き、雲南路美食街で麺類と串揚げの夕食。屋台街みたいなところだが、店の人がみな白衣を着ているのが不思議な感じの場所だった。街中では自助火鍋が流行っているようで、あちこちで見かけた。30~50元くらいで食べれるようだ。

第十日 上海

今朝は晴れた。とりあえず、近場のバンドへ。石畳の整備された綺麗な道を南へ向かい、途中でパンの朝食。十六碼頭まで下ってから豫園方向に入る。パンだけではちょっと足りないので、この辺の路地の屋台で、麩のようなものが入ったお粥と包子を食べる。「これ」と黒板を指さしたのだがおばちゃんに「あーだめだめ、こっちにしなさい(中国語を推測)」と言われる。まぁ、美味しければなんでもいいのだが。cn0006
豫園へ。いやに賑わっている通りがあると思ったら、子供用品や文具小物の屋台が出ている福佑路だった。身動きできないほどの人をかき分け、福マークのシールと、お正月っぽい男の子と女の子の紙人形をお土産用に買う。300メートルほど行ったところで、ついに動けなくなり、撤退する。

豫園は思ったより狭いエリアだった。庭園は外国旅客15元というのを見て躊躇ってしまい、そのまま入らずじまいだった。リンゴ(ミカン?)飴をかじりながら有名な南翔饅頭店に何度か並ぶが挫折。隣の隣にあった回教徒向け食堂で、牛肉の小龍包を食べてしまう。やっぱり肉汁は少ないが、なかなかいける。
豫園から旧県城内を歩き回る。至るところに市場があり、なぜか水がボタボタ垂れる洗濯モノが干してある。時間帯が悪かったのか、そこかしこでおばあちゃんが馬桶(簡易トイレ)を洗っている。老西門と留園を訪れたが、留園は遊園地と化していて、塔の下屋根をかすめて遊具が回り、池にはボートが浮かび、傍らにはゲームセンター(ここは最新のビデオゲームがかなりあった)のプレハブが建っていた。だがそこかしこに市場や古い街並みがあり、いい雰囲気だった。
碼頭に戻って黄埔江をフェリー(4角)で渡り浦東地区の名所、電視塔へ上がってみる。50元。上海市の全体が見渡せる。最初にここへ来て計画を立ててもよかったかもしれない。
西方向は、地平線の彼方までビルが陽炎のように林立し、東京さえ及びもつかないほどのこの都市圏の広さを実感させられた。

夕食は、南京東路を山東路に南に入った上海料理店(老正飯店?)で取った。蘇州でお金を使ってしまった関係から、150元くらいで、とわがままを言い、英語は通じないが親切な服務員のおばさんにお薦め料理を選んでもらう。
小蝦、麻婆スープ、田鰻の醤油炒め、青菜の炒めものとご飯(サービス)で、ほぼ予算通り。
食後に、新装開店した北京路の友誼商店と、南京路の百貨店でお土産を漁る。大規模店は9時、10時まで営業しているところがほとんどで、ゆっくり見ることができた。
最後に夜の外灘を散歩。10時をまわっているためか、アベックの姿が目につく。バンドの建築物は色とりどりにライトアップされていて、いい雰囲気だった。

第十一日 上海~成田

空港に行くのに、静安路に出て、いったんは民航バスに乗ったものの、発車まで時間があるため、退票してタクシーにする。バスの発着所の人は飛行機の時間を聞いてくれたり、退票したらタクシーを掴まえてくれたりと、なにかと親切にしてくれた。
空港まで、と言うと、タクシーの運転手は「何時に飛ぶんだ?」と聞く。案外時間がかかるかもしれない、と不安を感じていたので離陸時刻ではなく30分ほど前の時間を伝えると「おお」と言うが早いか飛ばし始めた。これほど恐い運転は、バリ島以来だったが、こっちも「え?飛ばさないと間に合わないくらいの距離なの?」と焦り、押さえるに押さえられず、空港に着いてしまった。途中渋滞があり、運ちゃんの判断が正しかったこともわかった。

空港税のことを調べていなかったため、タクシー代を払うと、手持ちの人民幣が足りず、空港で両替するはめになった。
しかし、中国銀行が税関の向こう側にしかなかったため、税関の入り口で事情を話し、税関・チェックインカウンターへ通してもらう。ようやく開いた銀行で不足の70元ほどだけを両替して、税関を戻って空港税を支払い、再度、もぎってもらう。税関入り口の人は交代していて私たちのことなど聞いていないらしかった。
出発待合室内では、人民幣表示になっているが、円も使えるようだ。日本人のおばちゃんが元の再両替窓口で万札を崩してくれない、とぼやいていた。定刻からかなり遅れてはいたが、無事に飛行機は離陸し、幸運に助けられた旅行は、なんとかその日程を消化することができた。

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