Misc Travelogues.

Sunday, July 16, 2006

Bali (Feb.97)

97年2月中旬、バリ島へ旅行しました。 今回は2回目なので、着日のみKutaに一泊、残りは前回気に入ったUbudで過ごすことにし ました。
往復航空券と現地1泊を手配。


第一日 東京~Kuta

ジャカルタ経由のガルーダ便は、30分強延着した。現地は雨。 到着ロビーを出たところで、Poppies Cottageの出迎えを探したが、さすがに 遅れたためか、見あたらない。
偶然、一緒になった学生時代の同期は、首尾よくホテルの送迎を見つけたようだ。ヌサドゥアに滞在して、ジャワへ行くという。学生時代はインドをフラフラして いたのだが「歳くって、もう疲れちゃって」とのこと。彼らも探すのを手伝ってくれたがダメ。しょうがない、友とは別れ電話すること にする。
ルピアの硬貨など当然持ってない。空港で販売されているテレカは ありがちなことに、Rp.20,000からしかない。さっそく両替したばかりの金が 減っていく。
電話すると、迎えを寄こすという。到着した運転手は私たちの他に数組の客も 探したが見つからず、「もう今日は何回来たことか」と苦笑しながら、そのまま ホテルへ運んでくれた。

予想以上にPoppies Gangは狭い通りだったが、 茅葺きのコテージが点在するホテル内は、驚くほど静か。 コテージ内はエアコンと天井ファン、 冷蔵庫、ステレオがあり、隣接する浴室・洗面所は、オープンエアで広々としている。
ポットには冷たい水があるが、パックティーなどは置いていない。

第二日 Kuta~Ubud

ホテル内を散策する。紹介されているように 決して広くないが、小さなプールや図書室もある 、 とてもしゃれた造りになっている。
向かいのPoppiesレストランで朝食を取る。前日の雨のため、半分くらいの座席が ビニールシートをかぶったまま。
Jl.LegianのPeramaで、Ubud行きのシャトルのチケットを買って帰り、チェック アウト。なかなかいい雰囲気だったので、金曜日にPoppies Cottage IIを予約する ことにした。

11時過ぎのバスでUbudへ。一時間ほどで着く。暑い。とにかくUbud Centralの案内所まで歩こうかと思ったものの、暑さに負けてARTINI 2 へ。一泊Rp.45,000だったものの、一階の部屋で湿っぽかったのと、明け方、電気を切られた(?もっとも、入り口の電灯が消えただけだったけど)件があり、ちょっと気に入らなかった。おまけに片方のベッドには乾燥した砂のようなものが掃かれずに残っていて(もしかしたら虫の卵かなにかだったのかもしれない)、実害はなかったものの ちょっと不愉快だった。
ここは田圃の間の窪地になっているので、湿気が溜まりやすいのかもしれない。 もう少しグレードを上げればよかったかと後悔する。
自転車を借りて、昼食および明日の宿探しに出る。観光案内所で夜のチケット(Peliatan でのWomens Gamelan)を買う。
宿探しはなかなかうまくいかない。せっかく一日のかなりの部分を費やしたので、 わがままな感想を列記する。 ちなみに、これは一見した感想であって、決してじっくり検討した上でのものではない。 まず、Jl.Monkey Forest周辺。

* Fibra Inn、Ubud Inn
こざっぱりしていて快適そうだが平凡。そのわりに、US$30-40はする。
決して悪くはないのだけれど、小奇麗でなくてもよいから何かがほしいところ。

* Monkey Forest Hideaway
あまり奥の部屋を見なかったせいか、今一つ静かではない。 さほど景色がいいわけでもない。

* Frog Pond Inn
ぱっと見たところ目立たないが、実はここ に決定。
「地球の歩き方」でもLonely Planetでも"Friendly"との評価が高い。実際、非常に 居心地がよかった。
ガイドなどでは3部屋しかない、とされているが、奥に数部屋増築している。 縦に長い構造で、思わず京都の町屋を思い出してしまった。
難点は(後でも触れるが)防音性が低いこと。もっとも夜中でなければ、いろいろな 声が聞こえてきて、それはそれで面白かったけれど。

Jl.Raya Ubud~北側周辺。

* Siti Bungalows
実は、隠れた本命だった。しかし「明後日まで予約はいっぱいです」の一言で断念。
レストランはその後、来てみたが、とても静かな雰囲気。値段もまずますだった。

* Suci Inn
夜は静かそうだが、道に面してゴミの集積場があるのが残念。

* Ketut's Place
自転車で目指したが、道を間違えて行けなかった。情けない。

* Taman Indah Homestay
道を上っていくと、卓球をしていた男の子が案内してくれた。
自転車でも10分近くはかかるほど奥まっていて、とても静かそう。
ここも2日ほどは空きそうになく断念。 石鹸無し、水シャワーで、Rp.15,000。 あまりに短すぎる滞在には向かないかもしれない。

Penestanan方面。ここはかなり期待していた。結果的には泊まる機会がなかったけれど、 静かで、値段に応じた宿のグレードも良さそうだった。
こころなしか欧米人の家族連れ、長期逗留組が多い気がするエリアである。 3日以上滞在してのんびりする人、歩くのが苦にならない人にはいいかもしれない。 集落に続く道の北寄りをいくつか回ってみた。

* Georig
西向きに開けているので、眺めはよいかもしれない。
宿の人がいなくて、中は見なかった。

* Melati Cottage
ここWellのTravel Conferrenceでも、 勧めていた人がいたところ。
$35で、天井ファンとホットシャワー、ダブルのベッド、昼寝用のカウチが2台、 という巨大な部屋を勧めてくれた。
残念ながら田圃は直接見えないが、ややチープな穴場リゾートといった感じ。 この辺りでは高めだが、値段の割に質は高そう。

* Siddahrta
Melatiのさらに先にある。こちらは周囲が開けていて、田圃がよく見える。
西向き2階にある部屋は、蚊帳が張られ、マンディスタイルの水シャワーだけ。 しかしここから見えた田圃の夕焼けは、捨て難いものがあった。
Rp.25,000だが、一泊でももっと安くするとのこと。
洒落た飾りモノや屋外プールなんて要らない、ライステラスと夕陽さえ あれば、という人向き。

Jl.Bisma方面。Jl.Monkey Forestの裏手で、中心部からの距離の割に周りがライステラス になっているというお手軽な感じの場所。
道沿いにいくつかのHomestayが3、4つかたまって立っていたが、必ずしも部屋から田圃が 見えるわけではなさそう。「ライステラスの中」に立っていることが重要らしい。

* Pringa Juwata Water Garden
狭い敷地をうまく使っている。
2 Storey Roomと呼んでいた部屋は、1Fは台所とバスルーム、オープンエアのリビングスペースとベッドルームになっていて、$60。寝るときはベッドルーム 部分だけ扉を閉めるようになっている。面白いが、値段は高い。「地球の歩き方」などにも紹介されているので、日本人も多いようだ。

* Buku View
Champuan川の渓谷沿いに建った新しいところ。こぎれいなところだが、 かなり遠い。これならJl.Raya UbudをそのままChampuanまで行っても 変わらないかもしれない。

ということで、ざっくばらんで好印象のあったFrog Pond Innに決定。 宿に人に聞くと「明日の朝、10時頃来ればたぶん空いてるよ」とのこと。

前回訪れたときには行かなかったLotus Cafeで休憩していると、チケットを 売る青年がやって来た。明日の夜、Bonaでのケチャのチケットを買うことにする。
6時45分、観光案内所前からバスに乗ってPeliatanへ。Women's Gamelanの オーケストラは、プロの楽団とは違って、やや音が揃っていなかったものの、 近年の創作も含めた、子供たちのダンスはなかなか見応えがあった。
中心街に帰ってNomad Cafeで遅いスパゲッティの夜食を取る。

第三日 Ubud

朝食はプールサイドの食堂で取る。パンケーキかトーストに、卵とドリンク。先にも書いたが、部屋があまり良い状態ではなく、明け方に突然電源を落とされるといった、あまり愉快でない印象があったので、そそくさと10時にチェックアウト。おまけに朝食を食べて部屋で荷物を簡単にまとめていると、従業員が掃除道具を持ってうろうろしはじめ、果ては部屋の入り口にシーツだのを干しはじめる始末。中国でなら腹も立たないが、仮にもホスピタリティが売りの国やホテルでこういう 目に遭うと、実害は無くとも心に受ける悪いイメージは逆に大きくなる。
まぁ、一つ学んだということにして、さっそくFrog Pond Innへ移動する。
Raiと名乗ったオーナーは、まだ若く、とても明瞭な英語を話した。雰囲気は無駄が ないけれども、ここはなかなかフレンドリーで、彼を始め、宿の奥に続く母屋に住ん でいる家族みんな、なんでも相談に乗ってくれる。
水曜日はGalunganというバリの盆に当たる日で、店はみんな休むけど、いろいろな セレモニーが見れて面白いよと初めて教わる。迂闊にもこれは全くチェックしてい なかったが、嬉しい誤算だった。
当初は、Negara方面に行く予定にしていたが、せっかくだからUbudに滞在すること にする。 Canderi'sで昼食。Rp.12500。私は鶏の唐揚のような料理を試す。

1時、マーケット前からNeka美術館へ。Rp.3,000。係員が説明してくれるのはありが たいのだが、中には観光やタクシーをしつこく勧める人もいて、やや閉口した。
カマサン・スタイルの古典絵画を見ていて思いついたのは、バリの芸術表現の多面性だった。絵画に表されたラーマーヤナやマハーバーラタの神話体系が、他方で彫刻や見事なダンスとして、観るものの心へ染み込んでいく様は、まるで流行りのマルチメ ディアの先駆だな、と突然、実感した。
帰途は、向かいの画廊前にいたタクシーに、お金がないとごねたら、Rp.1,000で乗せてくれた。手持ちがなかったのは事実で。申し訳ないとRp.100札数枚を付けようとしたら笑って断られ「そんなもんは屑篭に捨てちまえ。バリは物価が高い。Rp.100なんか煙草の巻紙だ」とのこと。もっとも物価高があまりにも激しくて、生活するのも楽じゃない、だのタクシーのオーナーの自分のボスは人使いが荒くて困る、だの愚痴もちゃんとつけ加えてくれたけれど。Rp.1,000だと、ワルンで昼飯一回分くらいだろうか。
ケチャは、18時発。さすがに本物の松明は使わない。 ただ、猿を演じる人数が 50人ちょっとのようで、迫力という観点からは、引き続いて演じられたサンヒャン・ダンスの方が印象に残った。 まぁ、事実上、毎日公演なんだからしかたないのだろう。といってダンスそのものの 質が落ちるわけではないし。
戻って、泊まれなかったHan Snel's Restaurantで夕食。ちょっと豪勢に米酒とデザー トも頼む、Rp.31,000。この金額になるとカード払い。ほろ酔い気分でFrog Pondへ 戻る。

第四日 Ubud

朝食はパンケーキと果物。ここは魔法瓶に入れた紅茶を置いてくれるので、お茶好き (というか飲物をあまり買わない)な我々にとってはありがたい。一日2回のペースで おかわりしてしまったが、いつもすぐに持ってきてもらえた。
朝食を食べて、部屋に備え付け(入ったときにRaiが置いていった)Lonely Planet をめくってくつろいでいると、宿のおじいさん (この人が当主らしい)が来て 「おはよう。今日はどうするんだい?」と聞いてくれた。
「BeduluからPejengを自転車で回ってみようと思います」と言うと「お寺に入るときはサロンが要るよ。サロンはいくらかで貸してもらえるけど、持っているならそれを使えばいい。それからお寺には"入場料"はないんだけど、取ろうとするところも最近 はあるみたいだ。」と教えてくれた。

近場で自転車を借りて、まずはGoa Gajaへ向かう。 Tegas周辺を過ぎると辺りは一面水田になり、まるで日本の田舎と変わらない。
Goa Gajaは、ガイドが説明してくれるが、入場にRp.1,100かかる。半地下になった水浴場など、見所は多い。
Goa Gajaからの道を右へ逸れて下っていくと、Yeh Pulu のレリーフがある。ここはさらにカメラ持込料がかかり、お供えのあるガネーシャの レリーフ前でおばあさんにお祓いしてもらうと、寄付を要請されてしまう。
行けばすぐにそれと分かるツーリストトラップだけれど、まぁ、お祓いという付加価値 もあるわけだから、しょうがない。

太い本道に戻り、しばらく行けばすぐにBeduluの交差点に出る。そのまま東に細い道を 入っていくと、左手にPura Samuan Tigaという 大きな伽藍を構えた寺がある。寺の向かいには同じ名前を冠したHomestayなる場所があったが、これが寺の付属施設なのか、単なる宿屋なのかは不明だった。
非常に静かな環境で、門前の芝生に寝転んだらさぞや気持ちよさそう。祭りの前日とい うことで、境内には三々五々、明日の供物を運んできて セッティングする女性たちや、ガムランを練習する音が聞こえてくる。
再び交差点に戻って北上。考古博物館は、改装中なのかお休み。そのままPura Kebo Edan へ行く。
受付には若い男の子2人がいて、Madeと名乗った片方がサロン代わりのスカーフを貸してくれて境内を案内してくれた。ここには、ヒンドゥ化される以前のバリ先住文化のものと思われる石像が数多く展示されている。これらはAgung山の噴火で破壊された寺の再建時に、 周囲の発掘で発見されたものだという。最大のものは "Pejengの巨人"と呼ばれる踊るビマ像。 6つの性器を持ち、その力は絶大とされている。「それゆえに祭りの前日である今日は、あのように飾り布で像の下半身を覆っているんだ」とのこと。
境内には、明日の準備でガムランなども置いてあった。 自分も演奏する予定だという彼は、いくつかの楽器の演奏法を実際に教えてくれた。 そのまま、隣の「世界の臍」(中心ということらしい)を意味する Pura Pusering Jagatへ畦を伝っていく。
臍という連想からか、ここは安産祈願の寺だという。境内の外れに舞台のようなものが あった。闘鶏場だという。
闘鶏は男たちの主要な娯楽のようで、そこかしこで鶏の鳴き声や、昼下がりに愛鶏を連れ て世間話に集まる男たちを見かけた。闘鶏そのもの は、昼下がりより夕刻前に行われることが多いそうで、見る機会がなかったのが残念。
Madeの家は寺の傍のワルンだとのことで、そこで昼食をとる。お祝い用の豚料理をのせて もらったチャンプルをもらう。ココナッツをまぶして揚げた豚の腿肉(sacred part of legと、Madeは言った)は美味だった。

少し行くとPura Penetaran Sasihへ。寺は南から行くと右手(道の東)にあるが、左手に駐輪場と、サロンをRp.500で貸してくれる場所がある。流れから、ここでサロンを借りて右手の寺へ行くのだろうと思うが、右手の寺の入り口には別に寄付を求めるところがあり、サロンの有無に関わらず寄付は要求されるようだ。直接右手の寺へ入り、寄付を払って入 るのがよいと思う。
サロンなしで寄付のみ払っても入れてくれるようだが(実際、先に行った欧米人バックパッ カーはそうしていたようだ)、サロンくらいは持参した方がいいのだろう。寺を訪れて敬 意を払う気持ちは、そこにトラップをかけて稼ごうとする人たちの有無とは関係ないと思 うから。
ともあれ、ここは東洋最大といわれる紀元前3~4世紀の銅鼓「 Pejengの月」で有名なところ。入り口から案内してくれた人は、寺の裏手のKamponを案内してくれた。Kamponは、小字よりもさらに小さい一続きの家屋の並び程度の印象だったが、 共通の寺を持ち、祭礼などの供物を用意する最小の単位でもあるそうだ。最後に「明後日、Bangliでお祭りがあるけど行かないか?」とツアーを持ちかけられたが、予定が不明なので、行くなら電話しますと答える。
帰途は、Pejengから西へ、Titiapiの集落を抜け、Petanu川を渡るルート。 とても眺めはよいのだが、渡河する渓谷が深く、暑さと上りのきつさに閉口させられた。人通りも少なくてとても爽快。途中で一服して Peliatanの北の道に出てようやくUbudへ戻った。
明日に向けて家々の飾り付けも進んでいる。目立つのは、道沿いに立てられた 竹製の飾り。薄くむいた竹の皮や、稲穂で細工が付けられているが、みな模様が違う。先端には色布が結えられ、そこから地面に向かって籠のようなものが吊るされているようだ。これが聞くところによると、道沿いのKampon毎に並べられるらしい。道の両側から長竹のアーチが一斉に伸びる様はなかなか華やか。
根元には供物を置く台が設けられ、そこからこれも竹で文様を作った シートのような飾りが伸びる。
Frog Pond Innは、このKamponでは重要な家なのか、 家の奥にある寺もきれいに飾られている。
夕方、マーケットに行って、マンゴスチンやランブータンを仕入れる。初日から気になって いたAyu's Kitchenなる小さなレストランで、レモンクランブルケーキを食べる。ここは ケーキが売り物らしい。おいしいけれどやっぱり甘い。アメリカのケーキに近い味。
雨季なので、毎日夕方から早宵にスコールのように雨が降る。9時ごろ雨を避けてIbu Rai Restaurantへ。チャンプルとIkan Babarという焼魚料理。ダメもとで箸はないか?と聞いた が、やっぱりなかった。

第五日 Ubud

宿の人がみな三々五々、正装して出かけていく。女性はサロンの上に黄色や赤の刺繍の上着 を来て紅いスカーフを留める。男性はサロンの上を光沢のある黄色の布で覆い、襟付きの白 いドレスシャツかジャケット姿。頭に白いスカーフを巻いている。
宿の人が朝食を持って来て、どうするの?と聞いてくれる。「明日に、どこかでお祭りがあ れば行きたいんですけど」と言うとRaiに伝えておくとのこと。知り合いのタクシーがあるか ら、使ってみるのだったら呼んであげる、と言う。
Munbal's Cafe(お休み)で、寛いでいたおじさんに話を聞くと、今日は各家庭での祭りで、みな(特に嫁いだ女性など)が、実家に戻ってきてお祝いするらしい。「パレードなんかはないんですか?」と聞くと「今日はないが、明日、Kemenuhで寺の祭礼があるよ」とのこと。 Roof Gadenで昼食。店は三分の一ほどは営業しているように見える。
一日、ブラブラして過ごす。今日は観光客の姿の方が目立つ。夜は、Cafe WayangのGalungan Special Buffetなるものを試す。食べ放題だったが、Rp.25,000の贅沢。同席したドイツ人の女性はSigarajaからバイクで着いたという。ジャワでちょうどラマダンに当たってしまい、日中、なにも食べられなかったときよりはいいわ、とのこと。
迂闊にも昨日の寺のガイド氏に連絡するのを忘れてしまう。しょうがない、自力で行ってみ ることにする。

第六日 Ubud

急に、Raiは病気で来られなくなったとのこと。とりあえずタクシーをやっているWayanという男性を呼んでもらう。夕方3時から夜8時までBangliまで行ってくれないか、と交渉。 Rp.50,000以下にはできない、とのこと。時給が$10以下になってしまうからだとか。 その条件で妥結。
2時半頃、サロンを持参して宿の人に着付けてもらう。Wayanが時間どおりに迎えにきた。彼の白いCIVICセダンでBangliへ。半時間ほどで高原の入り口のようなBangliに到着、気持ちのいい感じの町だが、どこにも祭りや行進のかけらもない。やはりPejengのガイドさん無しでは無理だったか、とちょっと落胆する。やむを得ず帰ろうとして、昨日Mumbal'sで聞いた Kemenuhの名前を思い出す。「じゃぁ、行くだけ行ってみよう」と向ってもらう。

Ginarからの幹線道路を北に折れ、村に入ってすぐ、Wayanが「あそこだ」と指差した。見ると 正装した男女が寺のような建物の前で、なにやら待機している。「さー行っておいで」とWayan はそっけなく我々をおろすと、ワルンでコーラを飲み始めてしまった。
正装しているとはいえ、はっきりいって目立ち過ぎてしまい、緊張していると、唐突に 供物を頭上に載せた女性たちが、建物から出てきて行進を始めた。楽器を持って控えていた青い服の男たち が銅鑼や鐘のようなものを鳴らす。日よけのような飾りを持った男たちが続く。行列はその後ろにたくさんの村人を従え、道を渡って村外れの寺へと 歩いていく。
偶然にも歩いている人の中に旅行会社で運転手をしている人がいて、日本語でいろいろな 説明をしてくれた。連れられて寺院の中へ入る。飾りや供物が備えられたり、東屋の下に積まれる。音楽が依然として続く中で、人々が祭壇の 方へ出てお祓いのような作業を受けている。
少女たちの舞が奉納されたりする中で、 みな寛いで 話をしたり、家に戻ったりしている。説明をしてくれた人によると、これから何日間か祭りは 続き、夜、遅くなると寺の前では屋台に混じって賭け事や踊りが催されるという。といっても それは夜の10時過ぎらしい。
家へ帰る人もいるし、寺の境内でござをひいて寝る人もいるとのことだった。
暗くなったので寺を出ると、外の駐車場にでた屋台にWayanがいた。彼はYogjakartaの大学の経済学部を出たのだが、不景気で仕事がなく、アルバイトにしていたタクシードライバーで生計を立てることになったという。「大学の時間は結局自分にとっては、 Nothingだったけれども、今に大きなタクシー会社のボスになるつもりだ」と話してくれた。遅くなったので夕食でもどうかと思ったのだが、尋ねると今夜はチャリティの食事会に行くといってチケットを見せてくれた。知り合いがいる福祉団体のやっている催しらしく、毎年行っているという。我々を降ろして金を受け取ると、彼はすぐに会場へ向って行った。
Casa Lunaで夕食。混んでいるが、賑やかだし値段も安くてなかなかよい。

第七日 Ubud

昨日の首尾を聞きにきた宿のおじいさんと、今日の行き先を相談する。近くを回りたいのなら、 Monkey Forestを抜けてNyu-kuning村へ行き、そこからPenestananへ行ってみたら?との提案。
Monkey Forestの手前で、バロンの行進に出会う。
Nyu-kuningは、静かで面白い村ではなかったが、そこからPenestananへ北上する道はのんびり していて散歩にはいいところ。
Penestananに入ると、南北の道沿いに、Young Artist Style、Traditional Styleなど、画法を 冠した画家のアトリエがたくさん並んでいる。西に村を抜けると、用水を跨いで Ayung川沿いの集落であるSayanに出る。
この道は上り坂(帰りはもちろん下り坂だが)な上に観光バスやトラックなどの大型車両が間断なく通る。途中でraftingから上がったばかりらしい日本人の若者集団に挨拶したが、いやそーな顔をして無視されてしまった。ちょっと悲しいが、exitしたばかりで疲れてもいれば、そん なものだろうか。
この川の並びは、Ubudでも最も雄大な眺めがあるため、最も高級なバンガロー型のリゾートホテルが林立している。パックツアーでよく使われるため、日本人の密度も高い地域だ。などと偉そうに言う我々も、2年前はパックで来てこの並びにある最高級ホテルKupu Kupu Baron に泊まったクチである。Sayan Terrace, Putra Umbara, Chahaya Dewata、水を飲んで休憩してか らようやくAmandariへ。Kupu Kupu Barongは、このさらに北隣にある。
実はこの道は、前回、ホテルで自転車を借りて、Ubud Centralに行こうとして通った道である。前回は下り坂にも関わらず、暑さのために途中でぐったりしてしまった。犬には吠え付かれるわ物売りには(具合が悪いのを見てか、さすがに遠慮がちだったけれど)お箸だの銀細工だのを売り込みに来られるわで、やむなくホテルに戻り、シャトルバスで街へ下りたのだった。
そのときは、冷房の効いたバンの窓からUbud Centralを見て、ずいぶんと情けない気持ちになったものだ。別に捲土重来という気はないけれど、見慣れぬ人たちの視線に怯え、野犬に怯えていた前回に比べると、多少は進歩したなと感慨に耽っても、罰は当たらないだろう。
Sayanからペダルを漕いで20分ちかく、ようやくKupu Kupu Barongの入り口が見えた。パックツアー で来ない限り、2度と泊まれないだろう高級ホテルである。
ここの、かつて朝食を取ったレストラン(Ayung川の崖っぷちの眺めが評判なところ)で、豪勢に昼食を取る、というのが私たちの今日の目玉だった。暑さのせいで、Chahaya DewataやらAmandari で挫折しかかったものの(それぞれ眺めのいいレストランがあるらしい)、そこはやっぱり懐か しいこのホテルで、と堪えた。
ここはご存知の人も多いと思う。 入口を入ってすぐに守衛の詰所と駐車場があり、細い藤(?)棚のある小道が奥へ伸びる。
道を挟んでこじんまりしたギフトショップがあり、前に来たときと同様、小さな子供たちが遊んでいる。親はその辺に腰掛けてこっちを見るとニコニコする。前に来たときはこのエリアがよくわからず、声をかけられると何かしつこく買わされるのではないかと、戦々恐々としていた。今から 思えば不思議なのだが。
抜けると車返しのある吹き抜けロビーへ。その奥が高級バンガローの客室とレストランになっている。レストランからの眺めはさすがに雄大で、やはり一見の価値はある。日本のガイドブックにも記載されているからか、日本人の割合も高い。驚いたのは、日本語を話すスタッフが増えていること。客層からいっても当然なのだろう。ぱーっといったつもりだったのだが、精一杯食べてRp.60,000強だった。ナシ・ゴレン系は、ご飯があるため満腹になり易い。とはいえ味はやはりいい。カード払い。
雲行きが怪しい。PenestananからChampuan経由で帰る。

今夜は、Peliatanで、Tirta Saliの舞台を見ることにする。 演目は、Welcome Dance、Legong Danceなど。
さすがにトップの劇団の一つだけあって、人気も高く演技も演奏も完成されていた。ただどちらかというと観光客に「見せる」という演出要素が大きくなっていて(バリで一般に目にできるダンスはみな観光客に見せることを主眼においている、というのは承知しているが)、完成されているだけに あまり新奇さがないとも感じた。
Mumbul'sで夕食。アイスクリーム・パーラーがあったのだが、残念ながら店じまいしてしまった。
雨に降られて宿に戻ると、隣の部屋のベルギー人の家族(数ヶ月かけて世界旅行しているという)が 帰ってきた。アメリカ人の友人たちとKetut's Placeで、Festival Menuの夕食を食べてきたという。
今晩は最終夜。パッキングして寝る。

第八日 Ubud~Airport~東京

10時にチェックアウトする。宿に荷物を置き、Lilies Cafeで昼食。パスタと、Nasi Urabという バナナの葉にくるんだサフランライスのような料理、それとジュース。
バスは夕方だから非常に暇である。食べるものを食べてしまうと、お茶を飲んでうたた寝状態。 店の人は、たまに通りがかって目が合うとニヤッとする。
2時半、Jl.HanumanからMonkey Forest方向に散歩。Monkey Forest近くのCafe Ratihでお茶。Rp.4,000。 ここは畳ではないものの、靴を脱いで座れる席がある。宿に戻って6時、宿の人たちに別れを告げる。シャトルバスへ乗って空港へ。例によって空模様が泣き出しそうで、この日ばかりはどことなく寂しさをそそられる。悪天候の中、30分近くも遅れたが離陸。
成田で降機する段になって、行きに会った同期と再会した。いずれ(国内での)再会を約して別れる。 偶然の多い旅だった。

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